海老坂のお地蔵さん

玉岩地蔵堂

At the end of the year (999 to 1003) and the end of the national pilgrimage, Happyaku Bikini, which was in the way back home to the Wakasa, went to the Ebisaka Pass, where the stone Jizo There is a legend that the gods became suddenly heavy and could not be carried on the ground, and they settled in this place.

八百比丘尼伝説

JR山陰本線日吉駅から約8km。かつての船井郡と北桑田郡の郡境にある海老坂峠は、昔の若狭街道であり、鯖街道とも呼ばれていた。この峠の途中に「海老坂のお地蔵さん」の愛称で親しまれている玉岩地蔵堂がある。

ご本尊のお地蔵さまは若狭の国(現福井県小浜市)八百比丘尼の持念仏であるとつたえられている。比丘尼はお地蔵様を背負って全国行脚され、最後に京都から故郷の若さに帰る途中、ここでしばらく腰をおろし旅の疲れを癒された。いざ出発しようとすると不思議なことに、いままで軽々と背負っていたお地蔵さまは動かなくなった。仕方なく大岩の上に安置し奉って若狭に帰った。その後比丘尼は、若狭小浜の空印寺に入寂された。

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Worship road

道幅の狭い参道は海老坂の峠道で、往古は人馬の往来が絶えなかったと言われています。 

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Main hall

本堂と庫裏は江戸期初期の建立で、鰐口は天文八年(1539)の銘が入っています。境内には池の所に鎮守社が祀られています。 

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Gardens

前庭を隔てて、小さな舞台と楽屋もあり、ここで法要時の余興としての芸能を見物されていました。

海老坂帰鴈

 
 若狭の小浜に家は貧しいが、心優しく大変美しい娘がいた。 ある日、一人のお坊さんが疲れ た様子で歩いていた。気の毒に 思った娘は、家にお泊めした。家 は壁も落ち、屋根も破れ、その 上病人もいたが、娘は心を込め てもてなした。  

 翌朝、娘が起こしに行くと、 お坊さんの姿はなく、そこには 「あなたの優しい心が御仏に通 じ、家も立ち直り、病気も治り ます」と書かれた一通の手紙と お地蔵さまが。娘はお礼に、尼 となってお地蔵さまを背負い、 全国を人助けして歩いた。  

 長い年月がたち、海老坂峠で ひと休みしていると、夢にいつかの お坊さんが現れ、「務めを終え、 故郷に帰りなさい」と告げた。 目が覚めてお地蔵さまを背負 おうとしたが重くて動かない。 そこでお告げのとおりそこにお 堂を建て、お地蔵さまをお祭 りして故郷の若狭へと帰った。 娘はその後、八百歳まで長生き し「八百比丘尼」と呼ばれた。

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地蔵堂と庫裡のはなし

このお地蔵様をご本尊とする「玉岩地蔵堂」は、第45代聖武天皇の天平18年に創建されたもので、第96代後醍醐天皇に深く信仰され又中御門院の勅願所になったとも伝えられている。

昭和27年12月に「宗教法人玉岩地蔵堂」として法人登記を完了し、以来信者と地元四ツ谷の住民で護持に尽力を注いでいる。

春秋の彼岸やお盆には、地元はもちろん、若狭や大阪方面からの参詣客で賑わい、いろいろのご祈祷を願う信者も増加してきた。これに応えて、毎年9月秋の彼岸には一大法要が行われるようになった。なおこの法要を含め、年間3回の法要が行われている。

地蔵堂は背後の山麓の大岩を取り込んで建てられており、本尊地蔵はこの岩の上に奉られている。小さなお堂であるが、装飾細部もしっかりした意匠で創られている。

庫裡と地蔵堂は廊下でつながり、2階は6畳部屋5室と桟敷縁。1階は台所などの部屋がある。秋の彼岸法要時の桟敷席や宿泊施設として利用されていました。

法要のご案内

玉岩地蔵堂では年間3回の法要を行っています。
昼食(軽食)を準備しております。
多数の参拝をお待ちしております。

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一月二日
(正月祭り)

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八月二十三日頃
(地蔵盆)

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九月 彼岸の中日
(秋分の日)

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